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*ナキウサギつうしんの紹介


なきうさぎ先生・・・佐野高太郎





佐野 高太郎

 憧れのナキウサギに初めてお目にかかったころ、僕は決意のようなものを持って北海道に来ていた。就職もせずに、写真家としての収入もほとんどない状態で、写真を撮り続けるのは簡単なことではない。動物を相手にして思うようにいかないことは分かっていても、その自分のおかれた環境と若さから来る焦りがあった。
 僕はどうしてもナキウサギが撮りたかった。どんな動物でも、いや動物に限ったことではないかもしれない。なにかに初めて会った時の印象は、心に刻まれる。前回ここに書いたナキウサギとの出会いは、神聖なイメージとして僕の心に刻まれた。そして僕をガレ場に通わせた。なにか見ちゃいけないようなものを見ている、という気さえした。「いいのだろうか?」という遠慮を常に心に抱きながら、撮影していた。焦りと遠慮があった。
 いまでこそ写真家の間で有名になってしまった某ガレ場だが、当時めったに人に会うこともなく、一人静かにナキウサギと向き合うことができた。彼らは緊張した雰囲気を察知するとまったく出てこなくて、安心すると良く出てくる。ナキウサギは僕に「焦りを持つな」と教えてくれた。
 僕が若いということ、いい写真を撮る必要があるということは、彼らには関係がない。彼らは安心して出てくることが出来る環境や、雰囲気を欲しがっていた。「絶対に撮るんだ!」という決意のような殺気立った気持ちは、彼らをますます遠ざけて、結果ぜんぜんシャッターが切れなかった。
 それはナキウサギに限ったことではない。エゾリスもエゾシカも、アフリカの野生動物たちもそうだった。もしかしたら彼ら(野生動物)には、人間の感覚では絶対に理解できないような、自然界の中で研ぎ澄まされた、第六感のような特殊な感覚があるのかもしれない。それは「空気を読む」こと、とでもいえばいいのだろうか。
 そしてそのことにおいて、とくに優れているのがナキウサギなのではないか?と考えている。そのナキウサギを撮ることで僕は、動物に対するアプローチ方法を身につけた。それを一言で言うと実にシンプルで、「相手の立場に立って考える」ことだった。
 ナキウサギの住処に一歩足を踏み入れたとき、その瞬間から僕は“部外者”としての孤独感と戦うことになる。見られることを嫌がる彼らは「人間がいなくなったら出てこよう」と考えている。でもそれだと僕は見ることができない。そこで妥協案を提示してみる。「ナキウサギさん。あなたが岩Aに乗ったら僕はどうしても写真が撮りたいのです。だからそれだけは許してください。その代わりあなたが岩Bに乗ったとき、僕はレンズを向けません」。
それは単純にナキウサギが岩Bに乗ったときに、我慢してレンズを向けなければいいのだ。そしてナキウサギに選択肢を提示する。その我慢が一番難しい。それさえクリアして動物に選択肢を与える撮影が続けられれば、時間はかかるが彼らとの距離が縮まる。
 それはその後あらゆる場所で動物写真を撮る僕の、撮影スタイルの基礎になった。
ナキウサギは僕にとって、先生でもある。


写真:ナキウサギが鳴く瞬間を正面から撮らせてもらった。『北海道 リスとナキウサギの季節』(P25)より



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